髙橋幸枝さん(101歳)の百歳学 「なんとかなる、なんとかする」インタビュー

by 沖中幸太郎(インタビュアー、XPRESS.jp主宰)

100歳まで生きたくない人、78.2%ーー私たちは「人生100年時代」をどう生きていけばいいのか。元気な百寿者たちが実践してきた身体と心の健康、日常の習慣から処世術まで、100の質問から探る「百歳学」。今回は特集巻頭インタビューとして、101歳にして現役で活躍する秦和会秦野病院の理事長、髙橋幸枝さんにご登場いただきました。

髙橋幸枝さんプロフィール(101歳)/秦野病院理事長

1916年(大正5年)新潟県出身。高田女学校を卒業後、姉を頼って上京。海軍省のタイピストとして勤務。赴任地、中国・青島で桜美林大学の創始者、清水安三氏の演説に感激し、医師の道へ。昭和26年、30代で医師免許を取得し、地元新潟の病院を経て50歳の時に神奈川県秦野市に秦野病院を開業。長らく第一線を務め、現在も理事長として病院全体を統括している。

101歳の変わらない日常

「特別な事なんて何もしていないのよ」。 神奈川県秦野市にある秦和会秦野病院。病院・診療所の運営から障害福祉、介護事業を手がける大規模な医療法人として、周辺にはたくさんの関連施設が立っている。50年前、薮が生い茂り、石ころが転がっている以外何もない原っぱだった頃に、ゼロから秦野病院を築き上げたのが、101歳の今も現役で理事長を務めている髙橋幸枝先生。

その髙橋先生の病院敷地内にあるご自宅に百歳学を伺うべく向かった。自宅のある3階まで息を切らして階段を登っていくと、髙橋先生がコーヒーを用意して待ってくれていた。 必要なものだけが置かれた見通しのよい部屋。インタビューは応接間に続くダイニングでおこなわれた。

連日多くのマスコミ関係者が髙橋先生の元にやってくる。「百歳が当たり前になれば、取材で疲れることもないわね(笑)」。「そのための百歳学なんです」と説明すると、顔がほころんだ。そして、照れくさそうに冒頭のセリフを言いながら、話しはじめてくれた。特別なことのない髙橋先生の「日常」はこんな感じ。

朝は5時頃に目を覚ます。寒いのが苦手で、そのまま布団の中で2時間くらいゴロゴロと過ごし、ベッドから起き上がるのは7時過ぎ。8時ごろに朝食。献立はだいたい、パンとヨーグルトにコーヒー、それに果物を少し。昼も夜も自炊するが、家族同然となった病院のスタッフたちが、何かと差し入れを持ってきてくれる。

「朝は割合、簡単なものが多いわね。昼と夜も基本は自分でやります。好き嫌いはなくてお肉やお魚、お野菜と満遍なく摂るようにはしていますね。だけど、面倒な時はお茶飲んで誤魔化しちゃう時もあるの(笑)」。

趣味は数字のパズルと80歳からはじめた絵画。スポーツ中継を見るのが好きで、これも80歳から覚えたお酒、晩酌のお供になっています。

日課は、毎朝郵便受けに届けられる新聞を取りに行くこと。エレベーターはありません。さきほど僕がゼエゼエと息を切らした階段をほぼ毎日登り降りされています。ある日、数えてみると51段あったそうで。こちらが驚くとさっそく、

「51段って言うと、ここに来る若い皆さん(ちなみに髙橋先生の若い人、は80代より下)よく驚かれるんです。でもね、降りたきりじゃお家に帰れないじゃない。だから102段なのよ、往復で。そこで驚いてもらわなくちゃ(笑)」。

たびたび、会話にジョークを織り交ぜる。

「確かに階段の昇り降りは楽じゃないんですけれど、新しくエレベーターを設置したらものすごく高くつくって聞いて……。もったいないから、このままでいいわって。でも、おかげでこれがいい“筋トレ”になっているのよ」。

これまでに大病はないけれど92歳の時と100歳になって二度、同じ部位・大腿骨を骨折している。大抵の場合、骨折は寝たきりの大きなきっかけになってしまうのだが、髙橋先生は違った。早く日常生活に復帰したくて、リハビリは、自分に負荷をかけて必死に頑張った。

100歳とは思えない脅威の回復力に医者からは「骨は年相応だが筋肉は年齢以上の若さだ」と驚かれた。 「無理しないくださいって周りは優しく言ってくれるんだけど、それじゃあリハビリになりませんから。少しだけ無理をしてみるの。それにね、私昔から負けん気が強かったみたいで、そういう状況に置かれると逆に燃えるのよね(笑)」。

百歳学その1
日常生活に運動を取り入れる

百歳学その2
好き嫌いなく、肉も魚も野菜も食べる

百歳学その3
少しだけ無理をする。時に手抜きをする

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