金森修さん(哲学博士)「領域をまたいだ自由な発想」インタビュー

こんな話をしています……

  • 大学から大学院にかけて10年ほど暗中模索の日々を過ごした
  • 30歳で(留学先の)フランスから帰国。周りはバブルでも、自分だけ貧乏だった。
  • 視野をぐっと深めるためには幅広い多くの素養が必要
  • 本は精神そのもの。食事と同じくらい大切なもの
  • 若い頃には外部の影響も受けいろいろな色を持つが、それが年を経るにつれて自分だけの「色」になっていく

金森修(かなもり・おさむ)氏プロフィール

1954年、北海道生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(哲学・パリ第一大学)。筑波大学講師、東京水産大学助教授などを経て、現職。専門はフランス哲学、科学思想史、生命倫理学。 著書に『サイエンス・ウォーズ』(東京大学出版会)、『ベルクソン』(NHK出版)、『動物に魂はあるのか』(中央公論新社)、『ゴーレムの生命論』(平凡社)、『〈生政治〉の哲学』(ミネルヴァ書房)など。編著、共著も多数。

バブルと無関係だった「プータロー時代」

金森修氏:私はいま、ちょうど60歳ですが、子どもの頃は若干内向的な人間で同世代の人たちと交流するのが結構大変で……そういう人、結構多いのではないでしょうか。まったく苦労なく育った場合には、哲学などには興味をもたないと思いますね(笑)。

その頃読んでいたのは、夏目漱石や安倍公房。素晴らしい作家に出会って、素晴らしいと感じたものです。安倍公房は随分読みました、あの乾いた感じが好きで。

あとは、今はあまり読まれないみたいですが、アメリカの作家、ヘンリー・ミラーの『南回帰線』などを好んで読みましたね。多くの時間、読書をして過ごして、ごく自然に言葉に関係する仕事に触れたいと思うようになりました。それで、東大の文科Ⅲ類、歴史や文学、哲学を勉強するところに入学しました。18歳で北海道から東京に出てきたのです。

小さなコミュニティである北海道ですら、コミュニケーション能力のない人間だったので、なかなか大変でした(笑)。どちらかというと、鬱々とした感じの時期を過ごして、普通に就職することも考えないわけではなかったのですが、なんとなく納得いかないものがあって……。モラトリアムというか、人生を前に進めるのを待って、自分のやりたいことが何なのかをもう少し探してみたい気持ちがあったのです。

親も「やりたいならやれ」と言ってくれて、運よく留学試験に受かってフランスで4年半ほど過ごしました。奨学金は十分ではなく、貧乏学生を20代の後半から30前後までやりました。

大学院に入った後も、自分がやりたいことが定まらず、暗中模索の日々が続きましたが、大学の頃と一つ変わったのが、対人関係。いい友人ができました。

30歳でフランスから戻った時には、奨学金なんかもなくなっていて、貧乏で、どうやって食べていこうかという感じでした。ちょうど85年から87年にかけての2年間は、全くのプータロー(笑)。しかたがないので通訳をやりながらしのいでいました。日本がまさにバブルに入りかけようという時期でしたが、私にとってバブルはどこか別世界の話でしかなかったですね(笑)。

――その暗中模索から抜け出すことができたのは。

金森修氏:比較文学や比較思想という、科学も使えば文学も扱う、領域をまたぐ研究を続けながら徐々に自分のスタイルを確立していきました。論文を書き始めたのは34歳でした。若い頃、酒を飲み過ぎたせいで、何とも遅いデビューです(笑)。

その頃までに決定的な影響を受けていたのが、ミシェル・フーコーです。20~30代にかけてさんざん読みましたね。彼の問題設定が、今でも私の根っこに息づいています。中でも知識が必ず色々な形で権力につながるという考え方。権力を持つこと自体が悪いわけではありませんが、それが一般人の健康や安全を脅かす場合もあるわけで。そういう物を対象にした研究をしています。

今学生たちには、視野をぐっと深めるためには幅広い多くの素養が必要になってくるということを伝えています。それは氷山のようなもので、ぽこんと突き出ている部分の下には、その10倍20倍の大きな塊があるのです。

私の場合、大学から大学院にかけて10年ほど暗中模索する中で、その塊を積み上げてきました。美術史や歴史、科学、もちろん哲学もやりました。40歳を過ぎた頃からようやく、自分の精神に糧を与えてくれるものが何なのかが分かってきました。その世界を広げてくれたのが、他ならぬ本という存在です。

私にとって本とは、精神そのものです。食事と同じくらいに大切なものです。本は、誰かが考えて書き記したものの記録です。例えばその辺に石ころが転がっていたとします。その事象自体は事実として今も昔も存在していますが、その事象に対する反応は様々で、そのリアクションが多様だということを、本を通じて感じることが出来ます。

たくさんの自然があり、宇宙が広がる。自然そのものではなく、それに触発されて人間がどういうことを考えてきたのか。そういうことが私の研究対象。自然科学者が、色々な自然界の断片を深めるように、私の場合は本が開示する人間精神のあり方を、一種の事実として捉えるということです。

――「本」で得た発見を、さらに「本」に記されています。

金森修氏: 資料の集め方や視点の設定をよく考えています。また基本的にはでも分かるように書くように心掛けています。その際必要になってくるのが、編集者の目線です。編集者は第一読者で、私の主張したいことと、伝えるためのバランスを編集者は考えてくれます。本という媒体は今、様々に変化していますが、例えば電子書籍なども確かに大きな可能性があるんでしょうね。

例えば花の名前が出てきた時に、それを少し調べれば花がバーッと出てくるとかね。一方でネットの情報など信頼性に欠けるものもありますが、そういう、あまり上質ではない情報が世の中には数多く存在するということを、小さなうちから認識しておくのも良いのではないでしょうか。

私自身は世代的に、紙の世代です。文庫本を買ってくるとインクのにおいがしますよね。そうしたにおいや質感、裏表紙のモノとしての美しさが好きですね。電子書籍とは違う魅力、それはこれからも、誰にとっても変わらないだろうと思っています。

たくさんの色に触れ、やがて自分という「色」を作り出す

金森修氏: 最近、非常にショックだったのは、3・11以降の日本の社会の成り行きです。科学史をやってきた人間としては、原発事故に関しても日本の社会のあり方が凄くショックで。何本か攻撃的な論文も書きました。ひとつは、言うべきことは言っていこうというのがあります。罪のない人たちの生活を破壊する、生命を破壊するようなことに対しては、警鐘を鳴らしていかなければならないと思っています。

実は、最近脱稿したばかりの新書が、あと少しで出ます。科学論というか、科学の成り立ちと変質、それがどう変わって、公益性という古典的な規範でさえ、今、おかしくなりつつあるのかということに焦点をあてています。

少し批判的な本ですが、今まで私がやってきたことの一つのまとめのような本です。 それなりの年齢ですから、自分の個性と自分の限界は自覚しています。

若い頃は色々な色があって、自分の中に黄色もあれば紫もあれば青もある。色々な影響も受けて、自分のことがよく分からないわけですよ。それが、だんだん年をとってくると、他人に影響を受ける比率が減っていって……感受性が鈍くなってくるせいでしょうね(笑)。自分の中の、これしかできないと思うものが決まってくる。ある1つの色に収れんしていくのです。

最後はすーっと、自分の人格の中心が決まってくると、思っています。私は完全にその年齢なので、あとは自分でやれることをやりたいし、これは絶対に言っておきたいと思うことは言いたい。あとどのぐらいできるかどうか分かりませんが、可能な限り長く続けていきたいなと思います。

――いま、興味はどこに。

金森修氏:子供にはやはり自由に生きて欲しい。自由というのは実は凄く大事で。それを、折に触れてこれからも言っていこうと思います。あとは、日本の3・11後があまりにひどいので、今の日本の社会に問題意識は持っていますが、そうは言いながらも、今まで築いてきた日本の文化は大事にしたい。

ですから、人間が考えてきたこと、やってきたことはこんなに面白いというメッセージを本の中で伝えていきたいです。私はすでに60歳ですので、いいとこ、あと20年かなと思っていますが、昔、美術史などをやっていたのが懐かしくて。私の仕事は科学思想史ですが、その知識をベースにして、そこから美術や文学をもまたいでいくような仕事がしたいなと思っています。

(2016年5月26日逝去)