春風亭一之輔さん(落語家)「命までとられるわけじゃあるまいし」インタビュー

ラジオにハマる スポーツにハマる
だけど「厳しいのはご勘弁」

一之輔氏:中学生になると、落語からはいったん離れ、代わりにハマったのが、当時、家で内職していた親が何気なく流していたラジオ。テレビと違って、自分だけに話してくれているような感覚がラジオにはあって、そのうち自分だけで聴くようになって、どんどんハマっていきました。ハガキを送れば読んでくれるかもしれない近さが魅力だったんですね。

ネタを書いて一度ハガキを送って読んでもらったこともありますが、それに満足したので、それからは、もっぱら聴く専門。月曜から土曜まで、録音して全部聞いていましたね。また録音だけでなく、やっぱり臨場感を感じるために生で聴きたくて、深夜放送を聴くために、学校から帰るとすぐに仮眠をとっていました。何か好きな番組を聴くというよりは、ラジオ全体の世界感が好きで、それで将来はラジオ業界、番組制作、放送作家になろうと思っていました。

――ハマりまくっている様子に、ご両親からの口出しは?

一之輔氏:宿題をやりながら、朝もニュースを聴きながらだったので、親は「勉強でもしてんのかな」と勘違いしていたんじゃないでしょうか。「厳しいのは勘弁」という自分の性格を知ってのことだったのかわかりませんが、親からはまったく口を挟まれることはありませんでしたね。そもそも一度も声を荒らげて怒られたことがなくて、そのためか自分も反抗期というのが、まったくなかったみたいです。

高校生になり、当時再放送されていたテレビ番組『スクールウォーズ』が好きで入っちゃったラグビー部でも、顧問の先生がおっかなくて、自分には向いていませんでした。厳しいのはどうも性に合わないようで。やっぱり苦手なんです、怖い人は(笑)。それでも、夏休みまでに半分以上の部員が辞める中、ベンチプレスを持ち上げたり、プロテインを飲んだりして翌年の春休みまで筋肉と仲良く、歯を食いしばっていました。

ただ、やっぱり気持ちはプレイに如実に表れるし、それで他の部員の足を引っ張るのが嫌になったんですね。顧問から「勝手にせい」と言われ、退部は成立したものの、部員のみんなが、家まで止めに来てくれました。でもそこでもし、イヤイヤ続けていたら、今は噺家になっていなかったでしょうね。

ラグビーを続けることが悪いのではなく、自分をごまかして嫌なこと、向いていないと思うことを無理にやり続けることが、自分にはよくない。それよりも、自分が心のうちから楽しめるものを探して、とことん打ち込んだ方がいい。自分がやりたいように進むのが、楽だと。この時から取り繕うのをやめました。そして芯さえしっかりしていれば、なんでもチャレンジするし、ダメなら別の道を考えるという「やわらかい軸」のようなものが、自分の中にできあがっていったんです。

身体に走った、寄席の“ゆるい”衝撃

一之輔氏:とはいえ、ラジオを聴く以外に特にやりたいことが見つからず、暇になった土日を持て余していました。そんなある日(土曜日だったと思いますが)、何気なく電車で一本の浅草に出てきたんです。何か面白いことはないかと。それで、ぶらぶらしていたら、浅草の演芸場の前に辿り着きました。

看板にはテレビで見たこともある人が描かれていて、「そういえば小学生の時に落語やったな」程度の気持ちでしたが、1200円くらいで一日中いられるし、映画より安いし、暇をつぶすにはちょうどいいかもしれない。まだ上の階はストリップ劇場で、人の出入りもあんまりなかったので、おっかなびっくりでしたが、まあ、入ってみるかと。

ところが入ってみてびっくり。二階から見る客席はほぼ満席で、詰め襟学生服を着た自分がおそらく最年少だったと思います。ご年配の方々に囲まれ、その異様な空間に圧倒されましたね。まあ、みんな集中していないですから(笑)。高座で人がしゃべっているのに、飴を配ったり、弁当を食べたり、他の催し物であんなにガサガサしている空間はありません。もう、それがおかしくておかしくて……。

前座、二ツ目が話す時はぼんやりと、トリの人が出てきたときはちゃんと集中して爆笑。「のびのびした、ぬるま湯のような空間」を話し手と聞き手がゆるい感じで一緒に作っている。何かすごいものを見てしまったな、と。それからずっと、定期的に通うようになったんです。

――今度は、落語にハマっていくんですね。

一之輔氏:寄席の空間がとにかく心地よくて、自分にはぴったりだと気づいてしまったんです。そのうち、学校にいる時も落語のことを考えたいからと、落語研究部をやることにしました。20年くらい、幽霊部同然だった落語研究部のまったく使われていなかった部室を復活させてもらい、スタートしました。

ひとりじゃ寂しいので、生物部の友人を「こっちのほうが面白いから」といって辞めさせて。翌年は新入部員も3人入ってきて、それなりに部の体裁も保っていました。それからはずっと落語漬けの高校生活でした。ラジオは相変わらず聞いていましたが、だんだんとラジオより落語のテープを聴く方が多くなっていましたね。

勉強の方はハマれていなかったようで、成績は500人近く生徒がいる中でビリから20番目。最初の大学受験はすべて落ちてしまいました。1 年間予備校に通いながら、はじめて勉強の面白さに触れ、そこでようやく勉強にも「ハマる」ように。楽しさを知ってからは成績もメキメキと上がり、しまいには先生から、「この調子ならもっと狙える大学が増えるぞ」と言われるくらいになっていました。やっぱり行くならラジオ放送関係の仕事に進みたかったので、第一志望だった日大の芸術学部放送学科に進みました。

箸にも棒にもかからなかった自分が無事に入学できた大学でも落語一色。入学してすぐに、落語研究会の様子を覗きにいったのですが、変なところでした。部員は7人くらいで、坊主頭の女性とか、「楽だから」と体育館なんかで使う内履きのシューズを、外用で履いていたり、柔道着を普段着にしていたり……。

「何か気が合いそうだな」と思っていたら、すぐに歓迎会に連れて行かれ、そのまま入部。先輩の「あんなもの行ってもムダだよ」というアドバイスを真に受けて、入学すぐの学科オリエンテーション合宿に参加せず、“楽しいキャンパスライフ”を逃した自分は、ますます落研にのめり込んでいきました。

――せっかくの輝かしい共学生活だったのに(笑)。

一之輔氏:学科では完全に取り残された感があったので、授業も出たり出なかったり。ほとんど部室に入り浸っていました。部室は学科を超えて、文化部全体のサロンのような場所になっていて、変な人がいっぱい来るので飽きなかったですね。ぼーっと漫画なんかを読んでいると、OBがやってきて、「よし、飲み行くぞ」って。そんな日々を過ごしていたおかげで、ギリギリの卒業でした。

映像関連のアルバイトはしていましたが、すでに放送業界よりも落語に気持ちが傾いていました。あの日浅草で落語に出会って以来、落語を覚えて人前で右向いて左向いてしゃべるというのは、自分に合っていると気づいていました。楽しいというより、向いている感じ。身体的感覚と言うか。

とはいえ、大学を辞めてすぐに「落語家になる!」というわけでもなく、4年間は将来のことをあえて具体的に考えないようにしていましたね。まわりも、ほとんど就職活動する雰囲気もありませんでしたし。まだ、まだと思っているうちに大学を卒業してしまい……。好きを仕事にしてしまってもいいのかという想いもありましたが、「よし、やろう」って。落語で食っていくことに決めました。

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